October
2000


スキー教師の【TOK】が 日記替わりに日々の雑感を綴るコーナーです。            
100% 個人的な日記です。興味のある人は見てください。(^I^)            
Ski Top へ   【TOK】へのMail          

日記の中のテーマ  What is Today's Topic?


スキー余話
   (SAJとSIA

スキー余話

   (教師選考)

スキー余話

   (田中康夫)

スキー余話

   (
良運・強運

スキー余話悪運
スキー余話

   (白鳥の着水)

スキー余話

   (赤い軍団)

スキー余話

   (原田雅彦)

スキー余話
   (過去の技術)
スキー余話
 (スキー教師H.K)
スキー余話
   (ガッツ教師 K)

スキー余話

   (スキー教師N)

スキー余話

   (某評論家)

スキー余話

   (所ジョ−ジ)
スキー余話
   (デモ選#7)
スキー余話

   (デモ選#6)
スキー余話

   (デモ選#5)

スキー余話

   (デモ選#4)

スキー余話

   (デモ選#3)

スキー余話

   (デモ選#2)

スキー余話

   (デモ選#1)

検定(プライズテスト)

検定(評価ポイント)

検定(総合滑降)


**********

教師日記 9月 #2


教師日記 9月 #1

教師日記 8月 #2


教師日記 8月 #1

To 教師日記 7月

To 教師日記 6月

To 教師日記 5月 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このページのTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このページのTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このページのTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このページのTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このページのTopへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このページのTopへ

 


10/31 (火) 快晴  
 今朝は朝起きてビックリ! 昨日寒かったのですが,北アルプスの頂上に降雪があったらしく,雪がビッシリ!。例年,10月中旬にはこのような景色が見れたのですが,今年は遅れていました。10月最後の日にこんな素晴らしい景色になって,私も感激しています!(^I^)。
 さて,今日は「スキー余話」の〆で”SAJとSIA”がテーマ…。
 昨日のテーマ「スキーと生活」でお話ししたように,「スキーで食べて行けるか?」ということと少し関連していますので…。
 一時期,「SAJとSIA」の対立,みたいなことが言われたことがあります。SAJは”Ski Association of Japan”の略で,SIAは”Ski Instructor's Association”の略です。SAJは元々競技団体から出発したアマチュアの団体です。ですから「お金を頂き,それで生計を立てる」ということは本来ならできなかったことでした。その中で一般スキーヤーへの指導を担当していたセクションの有志が,正当なお金を頂き,プロとして生計を立てられるようにしたい,という願いから「プロ化」を目指し「職業教師の団体=SIA」という団体を作ったのです。
 デモの出現を促した「世界スキー指導者会議=インターシー」の主催も,元々はプロ教師が主導権を持つ世界会議でした。本来なら,それに参加する教師も「プロの資格」を持つ人であるべきだ…というようなことから,SAJの教育部門とSIAとが論戦を戦わせたのでした。
 私達一般の教師はSAJに所属していようが,気持ちの上ではプロだ!,という気概を持っていましたし,所属する組織が違っても同じスキー教師だ,という気持ちがありました。実際,SIAという組織ができる前から,同じ教師仲間として技術研さんも,指導法の勉強も一緒にやって来ましたから,組織のトップのほうで,アアでもないこうでもない,という争いをしているのを見て,非常に情けなく思ったものでした。
 いま,時代は移り,以前ほど「SAJ」だとか「SIA」と言わなくなりました。ですから,いまさらこの話題を持ち出すこともおかしいのかもしれませんが,20世紀が終わろうとするこの時,次の世紀に向かって,わたし達スキー教師ができることは何なんだろうか?ということを少しだけ,考えて見ようと思ったのです。それにはプロだろうがアマだろうが関係なく,「スキーを通じて,ナニを経験させてあげられ,どう感動してもらえるか?」を見据えることだと思います。たかがスキーで…と言われる方もおられるかもしれません。しかし,あの自然の白いフィールドで遊ぶ時,わたし達は自由で,生きていることの幸せをしみじみ感じるのです。ひとりの人間,ひとつの生き物としての喜びを感じるのです。経済的な富や,社会における名声ではなく…心のやすらぎを…。…それにはSAJもSIAもありません。白銀の世界へ誘ってくれる真の INSTRUCTOR がいるだけでいいのです…。
 20世紀は「物」の世紀で,物質的な豊さ,経済的効率を追求した世紀,だと言われます。
 きたるべき21世紀は,物欲から解放され,「心の満足,やすらぎを求める世紀」になって欲しいと【TOK】は思います。
 Schi Heil シーハイル!
 
しかし,スキーだけでは食べて生けないネェー…ハッハハハハ……(^I^)

10/30 (月) 曇り  
スキー余話(スキーと生活)
 今年の秋はどことなく曇りや雨の多い秋です…。スッキリした秋空にとんとお目に掛かっていない気がします。季節変化が約1週間遅れですから,これから秋晴れが来るのでしょうか?
 さて,11月から少し教師日記の内容を変えたいと思っています。日記というより,随想というかスキー雑学…的な内容になって来てしまいました。日記は日記でやはり毎日起こった事柄を中心に載せて行こうと思います。コラム的な内容はそれに統一して行きたいと思っています。あと二日間は今までのスタイルで…(^I^)
 そういうことで「スキー余話」あと2回となりました。今日は”スキーと生活”について…。
 良く言われます。「先生はいいなぁー。スキーができて,夏は夏で自然一杯溢れる地域で暮らせて…。羨ましい!」…と。確かに自然豊かな白馬できることは幸せです。(^I^)。しかし,人生とは良くしたもので,何から何まで全ぇン部良い…というわけにはいきません。自然の中で良い景色に囲まれながら毎日を過ごせますが,それだけに犠牲にしていることもあるのです。
 先ず,経済的なことです。多分,生活の基盤を,ここ白馬でなく,もう少し人口の集中する都市に置いたら,年収は確実に増えるでしょう。確かに冬のスキーの期間は商売も成り立ちます。しかし,冬のスキーシーズンと夏の1ヶ月ほどの短い期間を除いて,あとの約6ヶ月は人口9500人の白馬在住の人を対象とした商売しかできません。定まった収入を得るには,人口20万人,30万人の都市で行う方が有利です。もし,経済的に豊かな生活を望むなら,白馬での生活は無理です。
 二番目に文化的イベントに参加する機会が少ないことです。私は映画や演劇,音楽も好きで,白馬に来る前は月一の割合でコンサートなどに行っていました。でも生活の基盤を白馬にすると,この機会も失われます。月に1度なら都会に行って見てくれば…と言う人もいますが,実際は時間的にも経済的にも無理です。
 …というわけで,私も以前は,収入も欲しい,スキーもしたい,白馬の自然も欲しい,音楽会も行きたい…と何から何まで欲しい思った時期がありました。全てが欲しくて,悶々としていたのです。どこか満足していない自分がありました。精神的にもイライラしていました。…ある時,「子供電話相談室」でお馴染みの「無着成恭」がNHKのインタビュー番組に出ていました。この時彼の口から出た言葉が,私の悶々とする気持ちを救ってくれました。「
老子」の言葉,「自勝者強、知足者富」を引用し,「”足る”を知ることは”真の富”を得たことだ」と話していました。「一万円持っているものは二万円欲しくなり,二万円持っているものは十万円が…。みずからの欲望には限りがない。これで満足…これで充分生きられる…という”知足”を知った人は,欲しい欲しい…という欲望の世界から,生活できてありがたい,生きられてありがたい…という感謝の世界に入ることができる…」というお話しでした。自分の持ち分に満足し安んじる,という心の持ち方が,安寧を与えてくれる,というこの言葉に救われた気がしました。
 今思うと,幼稚なことのようにも思えますが,あれ以来,私は「知足」を信条として生活して来ました。経済的には恵まれなくても,生きて行くだけの収入はある。自分がいちばんやりたいスキーを生活の柱として,ずーっと白馬で生活することになりました。
 最近,どこかのスキー掲示板に,スキー教師で生活ができるだろうか?というようなことが話題になっていました。どこで満足するかで,生活できるとも,できない,とも言えるように思います。
 最近は「e-ビジネス」で,どこにいても収入が得られる時代になりました。わたしが経験したことのない,毎日のようにスキーもでき,収入もある,という生活ができるような時代が来るのかもしれません。
 私は大好きなスキーを続けることで,「経済第一主義」でない自分を見つけられました。幸せな【TOK】です! (^I^)
 


10/29 (日) 小雨  
 今朝はあいにくの雨…。昨日は午後から雪の来そうな天候に一時なりましたが,冬型の勢いが少なくほんのわずか頂上に雪が積もった程度でした。早くきれいな冠雪した白馬三山が見たいなぁー!
 さて,今日は昨日の話題と少しだけ関係のある”教師選考”について…。
 私の所属する八方尾根スキースクールでは,毎年新人の教師を募集しています。特に助教師の募集が多いのですが,毎年数10名の新人教師を採用します。スキースクールの教師は全体で約150名ほど居ますが,その内約半数は,冬のシーズンだけスキー場に来て教師活動をしてくれる「助教師」です。もちろん何年も続けて来てくれている人も居ますが,毎年10数名の入れ替えがあるのです。毎年シーズン初めの11月終わりか,12月の初めに,この「助教師選考会」が行われます。実技テスト,ペーパーテスト,面接,を行なって,スキースクールの教師として適している人を選考させて頂いています。
 技術的にはSAJ1級合格程度のレベルを有している人です。できるだけ雪の斜面で実際に滑ってもらい,その技術をみせてもらいます。スキーの知識や理論をどの程度知っているか?ということを知るために,常識的なペーパーテストを行い,小論文なども書いてもらいます。小論文では,その人のスキーに対する考え方を知ることができます。面接では直接志願者から,教師になる動機や,これまでの経験,そして豊富などを伺います。教師は人様の前でいろいろなことをお話ししなければなりませんから,話術や的確な表現力なども見させて頂きます。これらのテストを経て「選考委員会」が開かれ,当スキースクールの目指している方向と合致している人を選ばせていただきます。
 教師はもちろんスキーレッスンに適している人を選考するのですが,実はそれだけではありません。一旦教師の制服を着ると,スキー場にお越しになるお客様は,八方尾根スキー場のことは何でも知っているエキスパート…という風に見ますから,八方のスキー事情についてはモチロン,観光事情など全てのことに精通していなければならないのです。ある意味で,八方尾根スキー場を代表するエキスパートの一人としての活動が求められることになります。また,各種の大会が開かれますが,その競技役員として,スタッフとしての役目も果たさなくてはなりません。人様にスキー技術をお教えし,お金を頂く…にはその位の自覚と経験が求められる,ということです。
 そのかわり,いろいろな人からスキー技術を学ぶことができます。毎日のように行われる研修会に参加し,デモの滑りなど,高度な技術を見る機会が与えられます。それを自分のモノにするのは各自の努力なのですが…多分,普通では到底得られないくらい,スキーに関する多くの情報を得ることができます。自由時間にはお金を気にせず目一杯滑る事も可能です。その機会を得るには,先ず選考会をパスしなければなりません。教師としての資質があるか,どうか?そして,パスした後もたゆみない努力が求められます。
 しかし,残念ながら,教師として採用された時の感動と使命感を忘れ,つい自分本意のスキー教師になってしまう人も少なくありません。初心に返って自分のレッスンスタイルを見直すため,年に一度の「教師選考」は良い機会だと【TOK】は思っています。
 ************************************************************
 八方尾根スキースクールでは,この11月10日まで「助教師募集」をしています。われこそと思われる方はぜひ御応募してみてください。今シーズンの選考会も間もなく行われます。


10/28 (土) 曇り  
 今朝は朝の内は白馬三山がきれいに見えていましたが,10時過ぎて少し全体に雲が出て来ました。気温は10度と低いのですが,雪が来る気配はありません。
 さて,今日の話題は”田中康夫”さんと「スキースクールの役割」について…。
 最近,長野県の新知事に選ばれた「田中康夫」さんの話題が新聞や,TVを賑わしています。彼が10数万票の差をつけて新知事に選ばれたのは,それなりの理由があると思います。それは「”役所”は住民の生活を豊かにする為のお手伝いをする所であり,常に住民の方向を向いているべきだ」ということを,選挙民に訴えたことだと思います。住民へのサービス機関であることを忘れて地方行政は無いということを訴えたことでしょう。県や市町村の行政は,先ず住民の多数の意見を尊重すべきです。最大多数の最大幸福をまず図るべきです。そしてそれに加えて,少数意見でも,それが将来を展望した意見であれば,英断を持ってそれを企画実行することです。少し危険や冒険が伴ないますが,将来の住民にとってそれが住民サービスにつながるならば勇気を持って行うべきことです。しかし,これまで長野県では,役所の中で育った人がそのまま知事になることが続いて来ました。その結果「住民サービス」がおろそかになり,企画実行ばかりが先行する形で行政が行われるようになっていました。「行政が住民をリードし,従わせる構造」になってしまい,「住民が主役で,その意見が反映する行政」でなくなってきていたのです。
 田中さんはそこの所を訴えました。彼の支持母体はほとんど無く,「〜勝手連」のような草の根の運動が彼を応援し当選させたのです。まさに住民パワーが炸裂した感じがありました。26日の初登庁の時は,その事実を認識していない県のある部長が,田中新知事に,誰もが非礼と感じるような態度で臨みました。TVで報道されたその姿を見た県民から,非難轟々のFaxや E−mail が届きました。「長野県民の多くが選んだ県知事に対する非礼は,県民に対する非礼だ!」という意見です。
 前置きが長くなってしまいましたが,これとスキースクールの役割をダブらせて考えてみました。
 私の所属するスキースクールは,本当にその役割を果たしているのだろうか?。これまでの長野県政のように,管理者側の独断や奢りがなかったろうか?。スキースクールでの主役は誰なのか?をしっかり把握して来たろうか?。教わる立場の,主役たる生徒さんの方向を向いていただろうか?。等など…
 スキースクールの役割は,文字どおり「スキーを教える所」です。生徒さんが,税金ならぬレッスン料を払ってくれるのですから,その生徒さんに対してサービスを提供しなくてはなりません。ですから教える人は行政でいえば公務員であり主役ではないのです。生徒さんが住民であり主役なのです。ところが…いたる所でこれが逆転しているような現象を目にします。自分の技術を自慢げに披瀝することだけで終わってしまう教師。うまくならないのはオマエさんの能力が無いから…というような態度の教師。早く自分の練習をしたい…2時間のレッスン時間が早く終わってくれないかなぁー…等と思っている教師。役所の一部にある高慢な役人,自分が主役の公務員,となんら変わるところはありません…。
 長野県が変わろうとしているその時期,いま一度「スキースクールの役割」を原点に戻って考え直す,良い機会だと思った【TOK】でした。


10/27 (金) 晴れ  
 今朝は昨日の寒い風も止み,秋晴れのいい天候になって来ました。
 さて,昨日は少し暗いお話でしたので,明るい話題”良縁・強運”について…。
 「スキー」が縁で結婚された人の数はものすごい数にのぼると思います。かくいう私もスキーが取り持つ縁で結婚致しました。(^I^)。それだけ「スキー場」には出会いの機会があるということなのでしょう。リフトに隣り合わせに乗って語ったヒトコト…。転倒して助け起こされた手のぬくもり…。レッスンで同じクラスになった巡り合わせ…。数えれば限りないくらいの出会いのスタイルがあります。普段の生活でも同じようなキッカケは多く経験しますが,そのシチュエーションが「白い銀世界…」というのがその出会いをロマンチックなものにしてくれるのでしょう。人と人との巡り合いの機会が多くあり,しかも「スキー」という共通の趣向を持っているということが,出会いをさらに深い絆に発展させてくれるようです。「スキー」は良縁の「キューピット」の役割もしてくれます。(^I^)
 スキー教師は,一般の人に比べればはるかに多くの人と出会える機会があります。毎日,何人かの人にレッスンすることで,ある意味で強制的に出会いが発生するのです。その出会いが縁で結ばれた教師も数多くいますが,単に結婚だけでなく,その出会いで人生の方向が変わった人も多く居ます。レッスンを担当した生徒さんが,ある会社の社長さんで,その会社の厚生施設を白馬に作ることになり,その施設の責任者として登用された人…。レッスンを受けた生徒,Aさんの娘婿に抜擢され,今はそのAさんが経営していた大会社の2代目社長となって活躍している人…。スキーレッスンが取り持つ縁で,あるツアー会社の企画部長に認められ,今はその会社の副社長として活躍している人…。まさに「強運」の橋渡しも「スキー」がしてくれたのです。
 私の周りにも,これ以外「スキー」が縁でいろいろな出会いを経験している人が居ます。でも,面白いことに,その縁を生かし切った人と,そうでない人が居ます。生かしきれた人は各方面で活躍されていますが,その機会は何度もあったのに途中で縁が切れ,挫折してしまった人も居ます。いくら「良縁,強運」の機会が目の前にぶら下がっていても,それをモノにできる人とできない人が居るのです。よくよく見てみると,モノにできる人は,その出会いで「人にナニかを感じさせる人徳」を持っています。人としての重みというか,魅力が備わっているのです。結局,「良縁,強運」を生かすには「人間としての自分を磨いておく」ことが必要のようです。
 昨年から,多くの人と Inter Net を通じて知り合うことができました。「スキー」という言葉を共通のキーワードに,いろいろな人と交流をさせて頂いております。互いに”イイ運”を与え合えるよう,これからも努めたいと思っている【TOK】です! 皆さんヨロシク!(^I^)。

10/26 (木) 曇り  
 今朝の白馬は少し雨が残っていましたが,10時頃になって少し晴れ間が出て来ました。白馬三山も時々顔を出しています。(^I^)
 さて今日も「スキー余話」で,”悪運”について…。
 世の中,見回して見ますと,いろいろ不公平が付きものの様です。神様はわたし達一人一人に平等に贈り物をしてくれている,とはとても信じ難いことがたくさんあります。
 スキー場で実際起こったこんな悲惨な例があります。その人は黒菱の上部で悪雪に突っ込み足を骨折してしまいました。パトロールがかけつけ,応急処置をしてスノーボートに乗せ,しっかり確保して兎の斜面を降り始めました。もちろん,二人の経験豊かな隊員がスノーボートの上下に付きそっていました。兎平の急斜面を無事滑り降り,そしてあとわずかで緩斜面に入ろうとした時です。一人の隊員が誤って転倒,確保していたロープを放してしまいました。その勢いでもう一人の隊員に急激なショックが掛かりこの隊員も転倒…。数十メートルボートと一緒に滑った所で隊員の身体がネジレ,その隊員も確保していたそのロープを放してしまいました。
 兎平の斜面下には安全ネットが張られていましたので,多少のショックがあるにしろ,その網に引っ掛かって止まるだろうと思われました。しかし,運悪く,そのボートは怪我人を乗せたまま,広いネットの方角では無く,当時あった電柱の方に流れて行ったのです。しかし,電柱は丸いし,ボートの先端も丸くなっているので,その芯同志がぶつからない限り,死亡事故,などという悲惨な結果にはならないはずでした。
 ところが,あり得ないと思っていた,「芯」と「芯」が,真っ正面同士ぶつかってしまいました。しかも,ボートの中では足が上を向いていたのです。悪魔の仕業でしょうか,そんなことが起こるの!という最悪の事態になってしまいました。頭蓋骨骨折でした…。…黙祷…。
 実際には起こり得ない…と思われる不幸な事態が重なりあってしまいました。悪魔の仕業…としか思えない悲惨な事故でした。スキー場に限らず,あんなことが!,こんなことが!…と思われるようなことが実際に起きてしまうことがあります。その原因を探せばどこかに行きつき,ゲレンデの中に電柱があるから…とか,隊員の確保がしっかりしていなかったから…とかいう責任問題になるのですが…。しかし,そういう状況も含めて,「スポーツを楽しむ」ということの中には「ある種の危険性」が潜んでいる,ということを認めなくてはいけないと思うのです。「楽しみ」と「危険」は表裏一体で存在するということを…。
 その後,隊員の確保の方法が研究され,隊員の身体からスノーボートが離れることはなくなりました。また,ゲレンデ内の電柱は撤去されました。信じられない事故がまた再び起こらないよう,スキー場関係者も一生懸命努力しています。
 すこし暗い話しでしたが,悪運に会わなくてすむよう,神様にお祈りしましょう…。

10/25 (水) 雨  
 今朝の白馬は雨…。昨日はあれから雲が取れ,きれいな秋晴れになりましたが,二日も持ちませんでした。(=_=;)。
 昨日,用事で松本まで行って来ましたが,途中見えた北アルプスがきれいでした。例年なら穂高連峰の山々も白い雪をかぶってもっと美しいのですが…今年は未だ…。でも,豊科の白鳥が毎年飛来する湖に行ってみたら,すでに4羽の白鳥が居ました。そして見ている最中に13羽の新しい集団が飛来して来ました。(^I^)。前に来ていた白鳥が,歓迎ダンスのような踊りで出迎えていました。毎年シベリアから数百羽の白鳥が寒さを逃れてこの湖に来るのですが,その先陣が来たということは,確実に冬が近づいている証拠。少し嬉しくなった【TOK】でした。
 さて,その,新しく飛来した白鳥が水面に着水する様子が,身近で見れたのですが,結構迫力がありました。大きく足の水掻きを広げ,スゥーーーっと,水面を数メートル以上も滑るように着水したのですが,水が左右にサァーーーっと引き裂かれ,きれいな波が発生しました。一瞬,まるでスキーヤーが深雪をかき分けて直滑降をしているような感じに囚われました。水に着水する…というだけの単純な動きだったのですが,どことなく自然と調和している,マッチしている…という美しさを感じたのでした。
 スキーヤーの運動も,理に叶った動きをすればあのような感動を与えられるような所作,動作が自然に生まれるのかもしれない…。以前にもお話ししましたが,自然とマッチした一連の運動は,見ている人にある種の感動を与えてくれるものなのではないか?。そこには無理な仕草は無く,自然と同化する美しさ,みたいなものが感じられる…。
 ジャンプ選手の風の抵抗をしっかり捉えて空に舞い上がる姿…,陸上選手の地面をしっかり確保した走り…,水泳選手のしっかり水を掴まえた泳ぎ…。スポーツの達人,と言われるスポーツマンの動きは「風や,大地,そして水や雪と対決し相争う」…という姿勢ではなく,その力を吸収し,同化し,一体となろうとする姿勢に似ています。
 「大自然」というフィールドは,スポーツマンに「自然界の持つ大きなエネルギー」を与えてくれていて,人間はその力を利用させてもらっているだけ…。
 白鳥のひとつの動作から,私達スキーヤーが学ぶナニかがあるように感じた【TOK】でした。(^I^)


10/24 (火) 晴れ  
 今朝ほど少しぐずついていた天気も回復しそうな気配です。(^I^)。ようやく紅葉が下まで来ました。約十日遅れで季節が推移しています。この分だと降雪も十日遅れで,12月に入り込むのでしょうか?
 さて,今日のお話しは「八○尾根スキースクール」…別名”赤い軍団”について…。
 私が学生の頃,スキーを始めて間も無い頃,友人の誘いに乗り「八方」にやって来ました。近くの「佐野坂」というスキー場までは何回か来た事があったのに,「八方」に来るのは始めてでした。それまで雑誌や映画で何回か目や耳にしたことはありましたが,実際訪れるのは初めてでした。今とは違って「北尾根」や「スカイライン」は未開発でしたが,「H.K」さんと同じように,そのスケールの大きさにビックリしました!。こんな急斜面が長く続く,大きなスキー場が日本にも有るんだ!
 そして,それ以上に私の気を引いたのは,今の名木山の急斜面で大回りターンの練習をしている「赤い軍団」でした。その数およそ30名,リーダーらしき人の指示を受けて,登っては滑り,登っては滑り…を黙々と繰り返しているのです。まるで,赤い服を着て武道の修行をしている集団…,という印象を受けました。聞くと,地元のスキースクールの教師がトレーニングをしているとのこと…。何日か八方に滞在したのですが,その間,毎日の様に場所を変えては集団でトレーニングをしている”赤い軍団”に出会いました。
 泊まっていた宿の主人にたずねると,スイスのシャモニーに「赤い服」がユニフォームのスキー学校があり,それを真似て赤色のユニフォームをそろえた,とのことでした。真っ赤な色では無く,少し「朱色」がかった赤でした。その「赤い軍団」の中に何人かの「デモンストレーター」が居ると思うと,見ていても飽きません。コブコブの名木山急斜面を,パラレルターンやウエーデルンでスイスイ滑って来るその姿を見ては,アレが「丸山某」かな?…そしてこの人が「太谷某」…と想像が膨らみ,新鮮で強烈なイメージを受けたのでした。いつか,あの集団の中に交じって研修をしてみたいものだなぁー…。
 その後,一度だけブルー系のユニフォームになったことがあります。ビデオ撮影の際,「赤」が残像を帯びてしまい,よく撮れない…というのがその理由でした。まだ「ビデオの技術が未熟な頃の話し」です。でも,その技術的問題も解決し,又もとの「赤」を基調としたユニフォームに戻りました。赤いユニフォームの軍団がまた復活したのです。スキースクールのマークの真ん中に「赤いシュプール」が見られますが,これは「赤いユニフォーム」をイメージしたものです。
 こだわりの「赤い軍団」…そのチームの一員になる夢が,それから約10年後実現しました。
 いま,若い教師が続々と育っていますが,願わくば,この「赤の軍団」にさらなる伝統を積み重ねるべく,精進して欲しいと思う【TOK】です。


10/23 (月) 曇り  
 今日は昨日と打って変わって,元気の出ない天気…(=_=;)。…でも心だけでも明るく!ネッ!(^I^)
 さて,今日の話しは昨日の「サマージャンプHAKUBAカップ」で優勝した”原田雅彦”選手について…。
 皆さんお馴染みの「原田選手」が,昨日の大会で復帰の優勝を飾りました。おなじスキーでも,アルペン系のスキーとはちょっと分野が異なりますが,彼について今日はお話ししたいと思います。
 初めて彼に出会ったのは,確か1993年,長野オリンピックが決まって,最初の夏の大会が開かれた時だと記憶しています。私は,息子がジャンプをやっていた関係で,1998年の長野オリンピックではジャンプ競技の役員として協力して欲しいと頼まれ,その年から放送係長として仕事を始めたのでした。世界各国から選手が集まり,その選手紹介をジャンプ競技の会場で放送する必要から,活躍しそうなめぼしい選手にインタビューをしていて,彼にお会いしました。その時も,例の「原田スマイル」でインタビューに応じてくれました。その気さくな人柄と誠実な応対から,一目でファンになりました。(^I^)。
 彼の飛び方は,船木選手とは全く違った飛び方,と言っていいものです。船木選手は,カンテで前方向に飛び出してから,ランディングバーン(着地台)のカーブに沿って飛ぶ,飛び方です。ですから,着地の時の入射角も少なく,滑らかに着地できるのでショックが少なく,飛型点も出やすいのです。風の影響も受けにくく,どちらかというと安定したジャンプができます。
 一方,原田選手の飛び方は,ひとくちで言えば「豪快なジャンプ」です。どうして豪快に見えるかと言えば,それはカンテで踏みきった後,身体の飛び出す方向が前では無く「上」だからです。それだけ身体がランディングバーンから離れ,船木選手に比べると,ずーっと上空を飛んで来るのです。ですから,風をつかみ,それに乗った時はとてつもない飛距離が出ます。ただ,高く上がって飛距離が出るため,着地の時のショックは相当なものがあります。飛べば飛ぶだけ入射角が大きくなり,ショックも大きくなる道理です。でも,どことなく彼は飛型点より飛距離にこだわっている風に見えました。
 オリンピックの団体戦…。一本目,彼が助走する時だけ降雪が激しくなり,助走路に雪が溜まり始めました。本来なら同じ条件でのジャンプをさせる為,助走路に雪が溜まり始めたら選手を待機させるのですが,あの時だけはゴーサインのシグナルが点灯してしまいました。シグナルが点灯すると15秒以内に滑り始めなくては失格になります。原田は滑り出しました…。普通ならカンテ付近での飛び出し速度は時速90キロくらいなのに,その時は確か85キロ位だったと思います。これではどのような技術を持っていても遠くへ行く事はできません。90メートルそこそこの,失速ジャンプ…と言われるジャンプになってしまいました。
 二本目,岡部と斉藤の踏ん張りで「逆転金メダル」の希望が出て来ました。いよいよ原田の出番…。前回のオリンピックの二の舞いはして欲しくない…。祈る気持ちでした。原田スタート!…。「ワーッ」という歓声に会場が包まれました。…一本目よりはるかにいいジャンプで原田は空中高く舞い,「最長不倒距離」を出しました!。この時点で並いる各国の強豪を押さえトップに踊り出たのです!。あとは船木の出番です。普通どおり飛べば日本の「金」は確実!。船木は安定感のあるジャンプで最後のジャンプを終えました。四万人近く集まったジャンプ競技場は「バンザイバンザイ」の歓声で生め尽くされたのです。日本のオリンピック史上,100個目の金メダルとなる記念の「ゴールドメダル」となったのでした。
 昨日の試合後,原田選手曰く「1本目,風もなく助走スピードが無いあの条件で6位につけられた。野球で言えば打率が良くなったのカナ?。あとはホームランを狙うだけ…」。風が無い時はランディングバーンに沿った低く前へのジャンプ,風があるときは高く遠くのジャンプ…これを使い分けるようになったのかな?と思った【TOK】でした。
 原田選手,復帰Vおめでとう! またビール飲みに来て! (^I^)

10/22 (日) 秋晴れ!(^I^)  
 今日は元気の出る快晴の秋空です!。気持ちの良い朝で,こう天気がイイと気持ちが明るくなりますネ!(^I^) 皆さんの所もイイ天気ですか? ゆっくり休日を過ごされてますか?
 さて,今日は【TOK】の掲示板で,「まさる」さんからリクエストのあった「過去のスキー技術」について…。
 「まさる」さんのご質問は,『旧課程に含まれていた,ステッピングターンやウェーデルン、ゲレシュプなどの滑りや、最近光の当たらなくなった滑走法などについて,【TOK】さんの考えをお聞かせください…』というものでした。
 私の率直な意見は,「曲進系」などというとんでもない技術は別として,「今も大事な技術で古いとは思わない」ということです。特に用具の変化によって,滑り方は大きく変わりました。これは紛れも無い事実です。カービングスキーの出現によって,滑走スピードは,昔のそれと比べると比較にならないくらい早くなりました。深雪さえも,スキーの面積が大きくなった分,浮力が生かされて楽に滑れる様になりました。しかし,だからと言って,ステッピングやウエーデルンがその価値を失ったかと言うと,そうではありません。カービングスキーを使っていても,緩斜面などでは知らず知らずの内にステッピングで滑っています。次のターンに思いが行くと,自然にそのような運動を体が行なっているのです。ウエーデルンの技術も,幅の狭い急斜面などを安全に滑り降りる時に必要になります。エキストリームスキーヤーが,急斜面をしっかりスピードコントロールして降りているフィルムなどで,良く見かけるシーンです。それだけでなく,小回りターンの導入段階では「逆ひねり」の練習過程で必ずと言ってイイほど使われます。小回りの基本,と言ってイイ技術です。ゲレシュプは,コブなどを滑っている時や,うねりのある斜面などで必要な技術です。空中にスキーを引き上げて重心の軌跡を意図的に変えたり,キープしたり…という時に大きな役割を果たします。これらイロイロな滑りが出来て,いろんな斜面を楽しむことができるのです。
 私は最近「直滑降」や「歩行」の重要性を感じています。スキーと言えば「回る」ということが頭に思い浮かぶほど,あまりにも「ターンすること」に汲々としている様に思うのです。平原を歩いたり,チョットした坂を真っ直ぐ滑り降りたり…というスキーの素朴な楽しみ方を知らないスキーヤーが多くなってなっていると思うのです。スピードが無くても,真っ直ぐ進む感覚を足裏で感じる喜びは大きいのですが,それを楽しめないスキーヤーが大勢居ます。これでは「雪からのメッセージ」を本当に受けとめているのかどうか?という足裏の感覚は鈍くなってしまいます。雪の上に立つと「ギュゥーーツ」のいう音を発しながら雪が「きしむ」のですが,その音に耳を傾ける人はほとんど居ません。この「雪との会話」,を楽しむことができれば,「雪の力でターンする」という意味も良く理解できる様になると思うのですが…。
 …というわけで,ステッピングターンやウェーデルン、ゲレシュプなどの技術は「日の当たらない種目」になってはいますが,大事な技術であることに変わりはありません。たしかに今はカービングスキー技術が脚光を浴びていますが,それだけがスキーではないことを知るべきだと思います。
 「流行」はいつか過去のものになる宿命にあります。いつの時代も,真のスキーヤーは流行に迷わされること無く,用具や道具で変わることのない『「山」があり,「雪」があって「スキーヤー」が居る…』,という,「変わらない真実」を見る目を持ち,ゆとりを持ってスキーを楽しんでいると思います。(^I^)


10/21 (土) 曇り 
スキー余話(スキー教師H.K)
 今日も曇り空の白馬です。北風が吹いて雪の予感が感じられます。山頂は多分雪でしょう。(^I^)
 さて,今日は私がスキーをしていてお会いしたスキーヤーのお話しの続きで,「H.K」さん。
 彼は今某スキー場で,プロスキー教師としてスキースクールの校長先生をされています。以前SAJのデモとしても活躍された方で,元々はクロスカントリーの選手でした。私のスキーの師でもあるT.Yさんという方に師事され,スキー教師になられ,お近づきになったのですが,彼のスキーには圧倒されました。クロスカントリーの選手だったせいもあって,体力には恵まれていましたが,それにしてもその滑り方の凄さにはビックリしました。
 彼が初めて八方に来て,黒菱の斜面にお連れした時のことです。アルペンリフトに乗って兎平を登っていたのですが,やがて右手に黒菱の大きな斜面が見えて来ました。そうしたら突然ソワソワし始めたのです。そしてなにかブツブツ言っています。「…凄っげぇ
ー,凄っげぇー…大きいなぁー…!。これが,デモ選総滑の斜面,黒菱ですか?!」。そしてリフトの終点に着くと,「俺,先行ってイイですか?」と言うなり,いきなり上から下まで3回転で降りてしまったのです!。当時のスキーは今のように高速に対応できるようなシロモノではありません。過去何回か黒菱での総滑を見たことはありますが,あの時のスピードと躍動的な滑りはそれをはるかに上回っていると,今でも思います。まるで水を得た魚のような元気さがありました。一見無謀とも思えるような滑りですが,見ていて安心していられます。
 その時まで,彼は師匠が経営するスキースクールのある,新潟県の某スキー場で滑ることがほとんどでした。ですから,初めて黒菱の大斜面を見た時の感動は想像に難くないのですが,それにしても凄い滑りでした。黒菱だけにとどまらず,兎のコブ,国際第一の急斜面など,八方を代表するゲレンデで朝早くから暗くなるまで滑っていました。まるで,彼の体内に溜まっていたエネルギーが爆発しているかのように見えました。
 それから数年後,彼は念願のデモに認定されました。その年も,彼の黒菱の大斜面での「総合滑降」の滑りは圧巻でした!。初めて黒菱を滑った時のダイナミックさに繊細さも加わり,並み居る当時のデモに交じって堂々の上位得点を獲得したのです!。
 スキーヤーにはそれぞれ,自分の好きなスキー場や斜面があります。そこへ行くとスランプから立ち直れ,自信を持って滑れる所です。なにかしら特別な力が働いて,うまく滑れる場所です。彼「H.K」さんは「黒菱」がその斜面なのかもしれません。
 いま,違うスキー場に居て,なかなかお会いする機会に巡り合えませんが,黒菱に行く度に彼のことを思い出します。あの3回転を!
 さて,あなたにとって,特別な斜面とはどこでしょう? 今年はぜひ「特別な斜面」に会えます様に!(^I^)


10/20 (金) 曇り 
 皆さんこんにちは!出張からようやくかえって来ました。留守中に山に今年二度目の冠雪があり,すっかり山頂は雪景色でした。いよいよスキーシーズン開幕かな?という気分です。
 それにしても,今年は各スキー場のパンフレット作製が遅れていますネェー。いつもならもう要らない!というほどにスキー場案内のパンフレットが溢れているのに…。一体どうしたんでしょう?スキー場は不景気風がまだまだ吹いているんでしょうか?
 さて,今日の話題に移ろうと思うのですが,留守中に溜まった緊急の仕事があり,そちらの方を片付けてから…ということにさせて頂きたいと思います。
 スミマセン…(=_=;)

10/17 (火) うす曇り 
 今日は久しぶりに白馬三山が見えます。やはり秋は晴天と,稜線に雪を頂いた白馬の山並が欲しいですネ!
 さて,仕事出張で,今日から東京へ行きます。そのため明日,明後日,UPできませんが,ご了承下さい。
 19日,帰って来次第,UPします。
 ところで,志賀や八方など六つのスキー場で共同企画を打っている「マウントシックス=MT6」,昨日記者発表で,今年の企画が示されたはずなのですが…。私事ですが,昨年,この企画のシーズン券=二万円!に内のカミさんが応募して当選!。1シーズン,格安のリフト代でスキーを楽しんでいました。八方や志賀,野沢などに良く行かれる方は必見です!
 
でも,なぜか? 今朝8時半現在,そのNEWSがUPされていません?! どうしたのかな?前のアドレスで見れる筈なのですが…?
 それでは,19日夕方に,またお会い致しましょう! (^I^)

10/16 (月) 曇り 
 ここ数日,曇り空が続いて,気持ちのイイ秋晴れ…から遠のいている白馬です。皆さんの地域はいかがですか?
 さて,今日のスキー余話…。昨日と同じくスキー教師の思い出で,本日のスターは「K.M」さん。
 彼もスキー巧者で少年時代はアルペンスキーを,そしてデモにも選ばれた経歴を持っています。今は実業家として大きなホテルを経営されております。
 そのK.Mさんのレッスンは大変変わっていました。生徒さんが滑って来ると「良ぃーし,良し,それそれ…。ソレなんだよ。ンーんイイねぇー」。生徒さんに「〜はどうするんですか?」と聞かれると「ガッツ,ガッツ…。ガッツが全て!ガッツだ,ガツだよ!」…。生徒さんは一瞬面食らうのですが,「…そう?ガッツ,ガッツ…ネェ…???」とM.Kさんの滑りを参考に滑り出すのでした。
 さぞ,クレームがスキースクールに来ただろう…と思われる方もおられるでしょうが,予想に反して結構人気がありました。その理由は,あんまりこと細かにああしなさい,こうしなさい…というアドバイスが無いものだから,生徒さんはしっかりM.Kさんの滑りを注目することになります。そしてM.Kさんの滑りの特徴を盗もうと努力し,それを真似ようとします。つまり,みずから学ぼうとする意識が強く働くのです。これはスキー上達に限らず,あらゆるものごとの上達過程で大事なことです。彼はこのことを知っていたのかもしれません。他人が真似してでも滑りたい!という気持ちになるだけの素晴らしい滑りだった,とも言えます。
 M.Kさんのスキーレッスンはソレだけではありませんでした。言葉は使わなくても,いろいろなシチュエーションの斜面に生徒さんを連れて行ったのです。微妙な凹凸のある斜面や,深雪,悪雪などです。M.Kさんは難しい理論や,その斜面だけにしか通用しない技術より,どんな状況でも応用の効く技術を学んで欲しかったのだと思います。
 ガッツ先生,と呼ばれた「M.K」さん…,今はホテル業でお忙しいのですが,時々お姿を拝見しては「ガッツ!」とつぶやく【TOK】です。(^I^)

10/15 (日) 曇り 
 昨日は,朝10時頃スキー教師仲間のN君がカヌーの誘いに来てくれました。私がカヌーに興味があり,時間ができたらリバーカヤックをやってみたいと言っているのを聞きつけ,誘ってくれたのでした。近くの「姫川」でかつて「ラフティング」はしたことがあったので,そんポイントに連れて行き,彼のあざやかなパドルさばきを見せてもらいました。今回経験はできませんでしたが,マスマスやりたくなった【TOK】でした。来年春から始めようと思います。(^I^)
 さて,今日のスキー余話は,彼「スキー教師 N」さんのお話し…。
 彼の出身は近畿地方…。私と同様白馬のジモティーではありません。白馬の自然に惚れ込み,20数年前に白馬に移り住みました。特に山が好きで,夏は「遭難救助隊」のメンバーとして活躍されています。スキーはモチロン,スノーボード,カヌー,登山…と幅広くスポーツを愛する好漢です。
 この彼,エクストリーム系のスキーも大好きで,毎年のように北アルプスの高山から春山を滑降しています。モチロンそれだけの山の知識も,地形も熟知しているからこそできる冒険なのですが…。
 昨年,白馬鑓の左の沢「杓子沢」に挑戦しました。過去に何回か滑った経験があったと聞いていますが,今回も無事急斜面をクリアし,あと少しで鑓温泉にたどり着こう…という時です。なにかの拍子でつまづき,小さい雪渓のクレパスに落ちてしまったのです。スキーが雪に引っ掛かり,体が沢の下の方に宙吊りになるような格好で止まりました。右ヒザに裂傷を負っています。顔も打ちましたがそれほどの重傷ではありません。気絶しそうになりましたが,ここで参るわけにはいきません。とにかく下山して…という一心で,ここから信じられない気力で行動を起こしました。まず態勢を立て直し,なんとか雪渓から抜け出しました。ヒザに雑菌が入ると,脚切断…という事態になりかねません。雑菌が入らないよう,持っていたバンダナで応急の手当てをし,そしてそこから,登る時に置いて来たバイクのある猿倉と言う場所まで,歩き始めました。小日向山と言う小さな尾根を乗り越えなくてはなりません。約2時間の遠い道のりでした。しかし,彼は脅威の精神力でそれをクリアしました。猿倉に着いた彼は,ブレーキ操作もままならない状況でしたが,なんとか自宅までバイクでたどり着きました。…そして病院へ…。即,入院でした。
 数週間後,「やぁー,やっちゃったよ!。心配掛けてゴメン…」,とビアホールに元気な姿を見せてくれたのでした。
 「冒険」には危険はつきものです。これによって受ける楽しみも,裏に潜んでいる危険も,どちらも自分で甘受し,みずからの責任で処理しなくてはいけません。他人の責任に転嫁することはできないのです。スキー場でも,怪我をした原因はスキー場側の管理責任だと,おっしゃる方が居ます。もちろん,管理者側の落ち度が追求されなければならない事例もあるでしょう。しかし,雪の自然を楽しむ,ということは,ある意味での「冒険」だと思います。みずからの責任で地形や雪質を調べ,みずからの意思で行動する,という基本的な考え方も必要だと思います。…だからこそ自由があり,楽しみの幅が広がるのです。もし,全ての事故が管理者側の責任,ということになれば,規制が幅を効かす管理世界になってしまうでしょう。
 Nさんの事故で,「冒険」について学ばせてもらった【TOK】でした。(^I^)


10/14 (土) 曇り 
 昨日は雑務,事務の仕事で昼を過ごしました。夕方から冬に向けて本格的に体つくりを始めました。夏の間ジョギングやテニスで基礎体力,車で言えばエンジン調整をして来ましたので,これから2ヵ月は足回りに相当する「脚や上半身の筋力調整」です。約20分のジョグの後,久しぶりに屋根裏に上がり,マシンに向かいました。マシンと言っても,良くTVコマーシャルで流れていた,フィットネス用のものです。教化ゴムで負荷を掛ける方式のものですが,使い方によっては結構役に立ちます。これで腹筋,背筋,上腕筋,大腿筋…と約30分掛けて汗を流しました。(^I^)
 さて,今日のスキー余話…。ある評論家先生のお話し…。
 TVなどで結構お馴染みの「竹○○一」先生が結構スキーがお好きで,毎年のように八方にお見えになります。その竹○先生が,ある本に次のように述べておられます。
 『マクルーハン曰く”20世紀の工業社会はハードを次々つくっていた。電話のおかげで遠くの人と話しが出来る様になった。これは人間の声が大きくなったと同じ。自動車は足が速くなったのと同じ…。そのように20世紀に発明されたものはみな,人間の肉体部分の拡張なのである”。このハードの時代はもうすぐ終わりを告げる。きたるべき21世紀はソフトの時代となる。ハードが肉体ならばソフトは脳である。
 私は仕事のついでにスポーツを楽しむ。それは,身体=ハードを動かすことで得られるソフト=脳のリラックスが,なによりの栄養になっているからだ。数ある好きなスポーツの中で,やはり冬はスキーがいい。雪山の大自然,思いのままに描くシュプール,風を切る爽快感…。スキーは脳を解放するのにもってこいだ。』
 お忙しい仕事の合間をぬわれて雪山に足を運ばれ,自然を満喫して頂いていますが,お怪我が無い様,竹○先生がお見えの時は,誰かスキースクールの教師が先導役をお努め致します。私も,先生が初めて八方にお見えになった年に先導役を努めさせて頂きました。「お仕事も大事な方だし,お若い,とも言えない方だから,中斜面や緩斜面をゆっくりトレーンで先導する形で滑ってくれればイイから…」とお付きの方に言われたのですが…。竹○先生,スキーがお好きなだけになかなかイイ滑りをなさいます。しかも,スピードを出されることに特に快感を感じられて居るようです。最初のうちは私の後をトレーン形式でついておられましたが,終いには私を追い越して急斜面に突っ込んで行かれます。しかも,一見「暴走」としか見えないようなスピード。八方は急斜面が多くスキーヤーもスノーボーダーも結構多い状態…。万一他の人に追突し怪我でもさせたら,先生の責任問題になりかねませんし,先生の評論活動にも支障をきたします。できるだけ人の少ない斜面,ゲレンデへお誘いするのですが,「キミ,あっちの方が面白そうだなぁー…」。確かにスキーは「…雪山の大自然,思いのままに描くシュプール,風を切る爽快感…。スキーは脳を解放するのにもってこい…」なのですが…。そのご希望の斜面に人が居ない事,斜面状況が良いことを願いながらの先導です。
 ご高名な方とご一緒でき,リフトに乗車中もいろいろなお話しを伺えるなど,最高の時間を与えてて頂いていて,大変名誉な事なのですが…一日の先導が無事故で終わった時の安堵感は,普通のレッスンの5倍!にも感じた【TOK】デシタ!(^I^)
 この楽しみ,ぜひ来年は別の人にお願いしよう…。


10/13 (金) 曇り 
スキー余話(所ジョ−ジ)
 昨日は仕事で大町まで行って来ました。途中の木崎三湖がきれいでした。近くに居るとなかなかゆっくり訪れる事もないのですが,きれいな湖なので,いつかはカヌーなんかを浮かべて,ミズスマシのようにスイスイと湖面を滑りたいと思って居ます。
 さて,昨日までは「スキー余話」で,「デモ選」についての話でした。実はアレ以外にも面白い話しはあるのですが,どうしても面白い話し,というのは「失敗談」が多く,その方の名誉を傷つけやすく,皆さんに公開するのがはばかれてしまいます。今度また機会がありましたら御話ししましょう。
 で,今日はレッスンで出会った人の思い出話を披露したいと思います。
 初日の今日は「所ジョージ」さんの想い出…から。
 もう10数年前になりますが,今人気の「所」さんと一緒に滑る機会がありました。当時も結構人気がありましたが今ほどではなかったと思います。ある雑誌の企画で,メーカーの宣伝を兼ねて「所ジョージ・八方でスキーに挑戦!」というような企画でした。お前は口先がうまい…ということで当時の事務長に言われ,私が担当させて頂いたのでした。
 時間は午後の3時間だけ。その間に名木山の中斜面のゲレンデを上から下まで滑って降りられる様レッスンして欲しい,というものでした。「所」さんは過去に1回だけ,修学旅行で滑ったことがあるがそれ以来はじめて…という事。「レッスンの模様や上達の過程など,適当にカメラマンが近くで撮影するから,先生のいいようにレッスンして下さい…」と言われ早速準備に…。ところが撮影用にメーカーが準備したスキーブーツがワンサイズ小さく,履く時もだいぶ痛そう…。でも「所」さん,例の笑顔で「OK,OK大丈ォッーぶ!」
 早速レッスン開始。なんとかプルークで真っ直ぐ滑ることはできましたがターンする事はできません。「バターをパンに塗るように…」とか「オレンジを足裏に意識して…」とか必死のレッスンが続きました。短時間にどれだけうまくなれるか?というようなことも取材されていていたので私も必死でした。「ナァールホド!分かった!スキーはオレンジジュースとパンなんだ!俺の朝食だと思えばいい訳かぁー?!」などと冗談を言いながらも,一生懸命やってくれました。
 途中で,「どうも靴の中がオカシイ…」というのでスクールに戻り脱いでみたら…血豆が破れて真っ赤!。用具を提供してくれたメーカーの予備のブーツは無く,「どうします?今日はこれくらいにしましょうか?」とお付きのマネージャー。「イヤイヤ,リフトを使って滑れるところまでやる。このまま続けよう!」と「所」さん。彼の意気込みのおかげで,再度挑戦。滑りも良くなり,約2時間のレッスンで,3回ほどリフトを使って滑り降りる事ができる様になりました。結構イイ取材ができました。
 滑っている途中,ゲレンデに居た多くのスキーヤーも「所」さんに気付き,「所ジョージじゃない?」,「一緒に写真取らせてもらってイイですか?」などとリクエスト。「OK,OK一緒に撮りましょう!」と気さくに,そしてニコニコそれに応じる「所」さん…。ブーツの中では血が出ていて,一刻も早く脱ぎたいと思っているはずなのに…。いくら,人気が命で,ファンを大事にすることが大事と言っても,「所」さんのプロ根性には頭が下がりました。スクールに戻って,ブーツを脱いだ時の真っ赤な足…いまでもあの「赤色」は忘れられません。
 「所ジョージ」さんに,あの時「プロとはなにか?」を教えていただきました。ありがとうございました。(^I^)


10/12 (木) 曇り 
 昨日は栂池自然園までお客様を案内して来ました。栂池の上部は今が紅葉のイチバン良い時期で特に「黄色系」の色が美しく青空に映えていました。
 さて今日は「デモ選余話」の最終回です。
 デモ選は「スキーの技術的要素を,見ている人に分かりやすく伝える演技者,を選考する大会」です。順位をつけ,20人なら20人を,25人なら25人を選考するのです。順位がつけられる以上その選考に漏れた人も居ます。 今日はこの選考に運悪く漏れた人の話しをしたいと思います。
 通常はデモ選に選ばれるのは,男子が上位20名です。21番目の人はデモになれません。しかし,4年に1度,スキー教師の国際会議「インターシー」という会議が開催され,この年の前年のデモ選だけは,この会議に出場し演技を行うため5人ほど多くのデモを認定する…という時期がありました。
 K.Mさんと言う方がおられます。ある年のデモ選の甲信越予選を,当時のデモを除いて,トップという成績で通過。甲信越トップならデモになれて当然…と思われていました。その年はあくる年にインターシーがあり,デモに選ばれるのは25名で,5名分だけ枠が広がっていましたから,尚更です。ところが…本選では惜しくも1点差で26位になってしまいました。「甲信越トップになった人はデモになれない…」というようジンクスがある…とか言われていて,やっぱりそうか…とみんなに言われたのでした。
 明くる年,もう一度挑戦です。今度は甲信越予選…運良くトップではなく,上位通過でした。今年こそ!という意気込みで本選に挑戦したのですが,結果は21位!。前年この成績を出していれば間違いなくデモに選ばれ,インターシーにも行けたのに…。21位では今年もデモはお預け…となってしまいました。
 残念ながら,彼のデモ選における最高成績はこの21位でした。その後何回かトライしましたが,デモになることはありませんでした。
 **********
 数多くの滑り手を世に送り,スキーブームの火付け役ともなったとも言える「デモ選」。いろいろな想い出があります。デモになった人なれなかった人…。それぞれ目標を持って一途にそれに向かって挑戦しました。
 これまで,多くの選手の挑戦を見て来て思います。前にも話したように「トップになることではなく,トップになろうとすること」,つまり,一位になることが重要なのでは無く,一位になろうとして努力し,その過程でいろいろなことを経験し,学ぶ事がより大事なのだ!ということをしみじみ感じます。
 今,名前は変わり,「デモ選」から「技術選」になりました。技術選でいい成績を出さないと,デモ選に出れない仕組みになりました。当時私達は,デモ選が「演技の具現者」という視点が強かったので,ジュニア時代からスキーをしていなくても,デモになることを目標にし,それに向けて挑戦できました。デモになれる壁が低かったとも言えるでしょう。
 しかし,この壁が高いからこそ,さらに学ぶ事も多く体験できる…という見方もできます。情熱ある若いスキーヤーの奮起を楽しみに期待したいと思います。

10/11 (水) 晴れ 
 今日は良い天気になりました!(^I^)
 ところで,急遽,栂池自然園までのガイドを頼まれました。
 これから直ぐに出発です。恐れ入りますが,本日の教師日記はおヤスミです。スミマセン…(=_=;)

10/10 (火) 曇り 
 今日は天気予報では「晴れ」なのですが,雲一面に覆われている八方尾根です。これから雲が取れてくるんでしょうか?…。
 さて,今日も「デモ選余話」で,そのbU。
 昨日のお話ししましたように,当時「三枝兼径」さんは小回りで抜群の滑りをされておりました。しかし,大回り系ではなかなかトップの座を奪う事ができず,残念がっておりました。
 当時は「デモ選」といえば,国産の「Oスキー」というほどにO社のスキーを履く人が多い時代でした。三枝さんも例に漏れずO社の板を愛用していました。今にして思えば,良くあの板でカービング的な要素を小回りで引き出せたものだ,と感心するくらいですが…。
 大回りでも彼は当然O社の板を使っていました。それはスキー板を提供して頂いているメーカーさんへの恩返しの意味でも,しごく当然の行為でした。しかし,当時行われていた「スキーテスト」などで,データが明らかになるにつれて,雪面グリップの良いパワーのある板を履いてみたい…という気持ちが彼の心の中に沸き上がって来ていました。そこで数回にわたりO社の技術担当の方と会い,「ぜひグラスファイバーにこだわらない,もう少しパワーのあるスキー板を作って欲しい…」,とお願いをしました。その席に私【TOK】も何度か同席し,その違いを説明致しましたので,その経緯は良く承知しています。しかし,返事は「当社の方針でグラス以外の素材を使った板は作らない…」というものでした…。
 ある年の事です。デモ選,総合滑降のスタートに,”スキーの表面を真っ黒にペイントした板,を履いた「三枝兼径」”の姿がありました。確か,その年の最終種目で,それまで彼は3位か,4位の位置にいた…と記憶しています。その前日,「【TOK】さん,明日ヤルからね一発逆転…明日…」という,意を含んだ言葉を聞いていましたので,「ヒョットしたら別のメーカーの板を履く気だな…」という予感はありました…。
 黒菱の大斜面に彼は飛び込んで行きました。結果はナント,大逆転でデモ選のトップに踊り出ました!……と言いたいところですが,彼は残念ながらバランスを乱し手をついてしまった,とかで転倒とみなされ,順位は大後退…という結果になってしまいました。気迫が勝ち過ぎて,誰も行かないコブの真っ只中に飛び込んで行ったのですから…。コース選定を間違えた…といえばそれまでですが…残念でした。
 後で,「ソレ見た事か,O社に対する反逆行為なんかするからだ…」というような言われ方をしました。でもあの時代,デモになるにはO社の板を履け!と言われた時代に,敢えて性能の違う板があるんだよ!ということを実証しようという意気込みで,世評を気にせず違うメーカーの板で黒菱の斜面に挑んだ彼は立派!だと【TOK】は思います。
 その大昔,ガリレオは「地球は円くない…と言う人達を乗せて地球は回っている…」という名言を残した,といわれています。三枝兼径は,「スキー板の性能にそんな差は無い。あるのは乗り手の技術だ…と言う人達のスキー技術に学ぶものは無く,技術の差も無い…」と言いたかったのではないか…と思います。
 カービングスキーが出現し,その性能に格段の違いがあることを知らずしてスキーレッスンはできない…そういう時代になった今,彼の取ったあの行動は,成功はしなかったけれど,認められてしかるべきだと思います。
 惜しかったね「カンちゃん!」(^I^)。
                           ***** (注:カンちゃん,は兼径さんの愛称)

10/9 (月) 曇り 
 今日は体育の日でおヤスミ…。10月10日は東京オリンピックの開会式の日で,前日まで降っていた雨が上がって快晴になったのを良く記憶しております。そういう意味で10月10日は「快晴イメージ」があって好きだったのですが,なにやら政治的配慮で休日が変わったそうで…。
 さて今日も「デモ選余話」で,そのbT。
 急斜面ウエーデルン,という種目がありました。この種目を語る時どうしても外せないのが三枝兼径さんです。兎のコブのウエーデルンは「三枝に任せろ…」とまでいわれ,その滑りには定評がありました。上体を高く保ち,特にみぞおちから上はピシッとフォールライン方向を向き,それから外れることはありませんでした。ターン前半はややスキッディング的にテールを横に降り,中盤から後半に掛けてスキーをグゥィーーンとたわませて,体の下に引き込むのです。今でこそ「ベンディング」という言葉がありますが,今思うと彼の滑りはベンディング的でした。しかし,重心の位置が高くコブなどでもバランスを崩す…ということはほとんどありません。ややターン後半はかかと気味に荷重点を移し,スキーの先端をターン内側にひねる感じです。
 大きな外力に耐えるには,身体を支える支点を「かかと」にするのが最も合理的です。つま先寄りにしますと足首がテコの様に働いてしまい,大きな力に耐えられないのです。そして支点と雪の力を受け止める「作用点」をべつものとして考える…。これこそ,当時,三枝さんの滑りであったと,今にして思います。まさに【Letスキー】の実践者であったのです。ですから後半しっかり雪の圧が貯えられ,それを体の重心方向に引き込めば,スキーはそのエネルギーを解放しながら,体の下を次のターン方向へまるでロケットの様に飛び出て行くわけです。切れと走りのある小回り,ウエーデルンが可能だったのです。
 しかし,当時はまだ「スキーをどうやって動かすか?」とういうことが論じられている頃で,とても彼の滑りを「雪の抵抗を最大に利用して滑る理想的な滑り方だ!」という風に評価する人は居ませんでした。スキーもノーマルの2m位の長さで,それこそ「かかと荷重」=「後傾」,という図式で滑りを判断していた頃です。いろいろな雑誌でも,「三枝のスキー操作は抜群で,ここ数年ウエーデルン王者の地位を他の人に譲っていない…」という評価でした。しかし彼は内心で思っていたはずです…「特別な操作はしていない。ただ雪からくる圧を受けとめ,それを素直に放しているだけ…」と。
 彼は当時,「スキージャーナル社」から,私達と共著で出版した「上級スキーテクニック」という本の中でハッキリと「かかとを支点としてつま先内側にひねる感覚…」と明言しています。「コブでは凹凸を意識せず,特に凸部分ではスキーを重心方向に引き上げる感覚を大事にし,重心が上下に動かない様注意している…」という彼の解説が,今でも説得力を持って私達に語り掛けています。
 いまでも,兎のコブを見ると,時々思い出します。デモ選の花形種目,兎平の「コブ斜面ウエーデルン」…。「三枝兼径」が見せてくれたあの素晴らしいウエーデルンと観衆の「ワァーーーーッ」!という歓声を……。
 でも,彼は幸運な方かもしれません。ナゼかと言うと,理論的にはまだ解明されていなかったが,彼の滑りの良さは評価された,からです。新しい試みに挑戦しイイ滑りをしたにもかかわらず,理論的に認められず,去って行った人を何人か知っていると,尚更その感を強くします。


10/8 (日) 高曇り 
 連休に入り晴天が期待されましたが…あいにく天気は下り坂とのこと…。(=_=;)。いい連休をお過ごし下さい。
 さて,今日は「デモ選余話」の4回目で,「恐怖のゲレンデシュプルング」です。
 その昔,ゲレンデシュプルングという種目がありました。「滑降中,意識的に踏み切って空中に飛び出し,障害物などを越えて安全な場所に着地する技術である。この練習によって,空中でのバランス感覚養い,滑降能力を高める」…というのが当時のゲレシュプの解説でした。デモ選における着眼点は「踏みきりの積極性とタイミング」そして「空中姿勢と飛距離」でした。
 ある年,このゲレシュプが八方尾根の兎平で行われました。兎平リフトを降りて左側に出ると小高い丘があります。下から見て,兎のコブ斜面が始まるひだりがわの丘です。ここのところに特設のゲレシュプ台が作られました。大きな台で,その丘の頂上からスタートし,着地は兎の斜面…という設計です。ゲレシュプでいうところの安全な着地場所,とは急斜面のことを言うのです。飛行機が着陸する時その進入角度を少なくしているのと同じ理屈です。急斜面ほど着地のショックが少ないのです。兎の斜面は急で長いですから,高得点を出すにはできるだけ高く,そして遠くへ飛ぶことが求められました。
 S.Mさんとおっしゃる有名な方がおられます。何度もデモになられた方です。先ずその人が挑戦しました。助走路で小さい姿勢を取り,カンテ(踏みきり位置)で思いっきり踏みきりました。見事な放物線を描いて前方に高く飛び出したのです。身体が一度大きく伸び,そしてゆっくりと脚を抱え込みました。しかし,まだ着地位置まで到達していません。高く飛んだので,まだ空中に浮かんでいて,着地姿勢を取れないのです。そこで彼はもう一度身体を大きく伸ばしました。そして改めてまた脚をゆっくり抱え込んだのです。そして着地姿勢に入り急斜面に見事着地!会場からは割れんばかりの拍手が起こりました。あとで「二度かいこみの見事なジャンプ」と言われました。
 さぁ,次はT.Mさんという方の挑戦です。この方もデモに数回選ばれた方です。S.Mさんには負けないぞ,という気概まんまんでジャンプしました。同じように踏み切り,空中に出ました。最初の脚の抱え込みは成功です。…ところがそのままフワーッ…と脱力したように急斜面に落ち,転倒してしまったのです。何が起きたのでしょう?…みんな心配そうにT.Mさんに近づき「オイ,どうした?だいじょうぶかぁ?…」と声を掛けましたが返事がありません。…ナント,彼は空中に出て,そのあまりの高さにびっくり仰天し,気絶してしまったのでした!
 後日,T.Mさんいわく,「そりゃぁビックリしたよ!飛び出たら八方の旅館街が全ェンぶ,オレの足の下にあるじゃぁねぇーか!こりゃヒョットしたら名木山まで飛んじゃうかも知れない…と思ったら気ィ失なっちまったヨ…」。
 運悪く,【TOK】が出させていただいた時,ゲレシュプはありませんでした。もしあれば,「見事な二段ジャンプ」をお見せできたのに…というのはウソ!。高所恐怖症の私には下界の景色を楽しむ余裕はアリマセン…。



10/7 (土) 晴れ 
 秋晴れの白馬です!気持ちのイイ朝です!。とんぼが舞い,雲がゆっくり流れ…のどかな秋の一日が流れて行きます…。(^I^)
 さて,今日は「デモ選余話」の3回目で,「まことに残念な…」です。
 M.Mさんとおっしゃる方がおられます。非常に運動能力に恵まれていて,白馬村内の短距離では右に並ぶ人がいないくらい早く走り,野球も得意な方です。
 甲信越予選での話しです。予選初日の種目で,彼はノーミスで自分の滑りを終え,長野県代表としてデモ選の本選出場は確実!という風に思われていました。それもそのはず,その前年,彼はデモンストレーターを目指して,仲間数人とオーストリーのブンデスハイムで過ごし,数ヶ月間の特別プログラムを終了していたのです。そのシーズンも好調で,皆から「なにか特別なミスでもしない限り,甲信越予選突破はおろか,ヒョットするとデモに選ばれるかもしれない…」という期待を持たれていたのです。
 予選二日目も彼は好調で,いよいよ最後の種目になりました。「急斜面の横滑り」が彼の最終種目でした。数年前,1級の検定種目にあった,あの横滑りです。迎え角をどれだけしっかり意識し,上体の向きをキープし続けられるか?がポイントとなる種目ですが,彼の実力からすれば「お茶の子さいさい」の種目でもありました。
 右斜め前に約20メートル横滑りし,ターンして左斜め前にまた20メートル横滑りしてゴール…というこれだけのことなのです。彼が演技する前に多くの人が滑っていたので,深いわだち状のレールができてしまっていました。その為彼はそのレールの約1m上部の掘れていない場所を選んで滑る事にしていました。良い作戦だと誰もが思いました。彼はスタートしました……。右斜め前OK,…スピンターンで方向変換OK…左斜め前…OK……ゴールし演技終了!。これで彼の本選出場は決まった!!……と思われたその時です。「アレレ,彼ゴールしたぁ?」と誰かが言ったのです。「エエぇーーーッ!そう言えば……」。彼はわだちを避けて,皆より約1m上を滑って行ったため,ゴールに立てられた旗門の上を通過してしまったのです…。
 「失格」…です。ゴールを通過しないで演技終了ですから…「失格」。まことに残念な結果でした。誰も彼に話しかける言葉がありませんでした……。
 その後も何回か彼はデモ選に挑戦しました。あの時意外,甲信越予選は全てクリアしましたが,本選でデモになる事はありませんでした。彼ほどの力があればデモに選ばれてもおかしくなかったと,今でも思います。しかし,彼の絶好調時に逃がしたあのチャンス…残念でなりません。


10/6 (金) 晴れ 
 今朝も秋晴れの気持ちのイイ朝です。ゲレンデの草刈りも少しづつ始まりました。草をそのままにしておくと雪の付き方がまばらになったり,解け方も早くなったり,ということで一様に草が寝るように,草刈りをするのです。戸隠スキー場ではさらに「稲わら」を敷き詰め,断熱効果を持たせているとか…。スキー場の管理も大変ですね!(^I^)
 さて,今日は前回の続きで”デモ選余話”の2回目。
 …そうこうありまして,推薦をいただき,晴れて長野,新潟,山梨のブロック「甲信越」の予選会に出ることが出来ました。三十路を過ぎて,初めて参加した年は「石打スキー場」がその会場でした。急斜面技術はどうみても「雪有り県」で育った人達にかなうはずもありませんでした。高校を卒業してからスキーを始めた者にとって,唯一得点を稼げるのは緩斜面技術の「プルークボーゲン」や「シュテムターン」,そして「緩斜面パラレル」でした。予選一日目の急斜面系は,ナニをどう滑ったのか?訳が分からないまま終了…。二日目は得意な緩斜面系…。いまでも覚えているのは「急斜面系は経験がモノをいう。しかし緩斜面は頭を使った,種目の理解と演技力だ!」という思いを胸に秘めていた…ということ。とにかく自分の思う滑りを自分なりに滑るしかない。他人の真似や得点が出るといわれる滑りをしようとしたってそれは無理だ。自分なりの滑りをどう評価してもらえるか?これに掛けよう…,という思いでした。自分ではミス無く100%の演技が出来た気がしました。あとは最終日の発表を待つだけ…。
 甲信越予選…突破など夢にも思っていなかったのですが…。結果は予選通過!でした。得点結果は急斜面技術系では下から3分の1くらいのところに,緩斜面系でかろうじて上位の方にランクされていました。予選通過ラインをわずか1点のオーバーでした。「カミソリ周○」という異名をとっていた,かつての名デモ,丸山周○さんが,私の近くに来て「佐々木…よかったなぁー,爪を切らないでいて…爪いちまいで引っ掛かったなぁー」と祝ってくれました。
 本選は地元の八方で行われました。夢のまた夢だった「デモ選」の選手として桧舞台に立てたのです。嬉しかったですネェー!(^I^)。しかし,本選は予選があり,その予選をクリアすることは出来ませんでした。でも,予選種目4種目を私なりに精一杯滑らせていただきました。
 …………
 その翌年もう一度,デモ選へ挑戦しました。2年目も運良く甲信越予選は突破,本選に出させて頂きました。しかし,本選では予選通過はなりませんでした。
 たった2回の「デモンストレーター選考会」への挑戦でしたが,多くのことをこの時に学びました。他人の滑りに惑わされず,自分の出来る滑りを大事にすること。考えながら滑ること。気持ち良く滑ること。等など…。「なにかに興味を示し,目標を持って進めば,その目標はクリアできなくても,多くの果実を得ることが出来る」。「大事なのはトップになることではなく,トップになろうとすることだ」ということも…。

10/5 (木) 晴れ 
 今朝も気持ちのイイ朝です! 風邪もだいぶ良くなり普通の生活に戻れました! 夏の間に知らず知らずに貯まった体中の病原菌が出て行った感じです。(^I^)
 さて,今日からは,「あぐりさん」から掲示板でリクエストのありました”デモ選余話”について…。ただ,実名でのお話しは,その方の名誉を傷つける恐れもありますので,「匿名」ということでご了解願いたいと思います。名誉を傷つけないお話しはモチロン実名で…,(^I^)
 今日は初日ですから,私目,【TOK】自身のことからお話ししましょう。
 当時は「技術選」というものが無く,「デモ選」オンリーでした。あくまでも「スキー指導者が,スキーレッスンで模範を示す時の演技能力を競う」というのが目的でした。文字どおりデモンストレーションを的確に演技できる能力を競っていたのです。…でも,いつの間にか「演技能力」から「美しさやスピード」が注目を浴びるようになり,競技スキーの合理性をどう基礎スキーに導入するか?というような視点での選考会に変わって来ていました。私が出場を許されたのは丁度その頃です。
 私の所属するスキースクールには,それまで日本で最も数多いデモンストレーターを輩出しておりました。私がスキー教師になれたからといって直ぐ「デモ選に出させてください」などという雰囲気はありません。当時の技術統括をされていた,丸山周○さんや太谷太○男さんのメガネにかなわなければ,出場はおろか研修会にさえ出席させてもらえませんでした。高校まで野球に熱中していたいた私ごときが,スキーを始めて7,8年で甲信越予選に出ることなど,及びもつかなかったのです。
 ただ,私にはひとつだけ,「低速技術は少しだけうまい」とりえがありました。それは,毎日毎日初心者や中級者を担当させて頂いたおかげで,プルークボーゲンやシュテムターンの練習回数が他の上手なスキー教師に比べれば格段に多かったのです。特に,シュテムターンで外スキーに内スキーを自然に揃えるテクニックは,当時の私の恩師で6期連続デモンストレーターでもあった「太谷太○男」さんに高い評価を受けていました。
 ある時,デモ選出場組(デモ選に出場が許される人達のグループ)が低速技術の研修をしている時,どうもシュテムターンの後半の処理がうまくいっていない…ということになったらしく,私がその現場に呼び出されました。「シュテムターンの内スキーの処理をやってみろ…」ということで,そうそうたるデモの方々や,これからデモになろういう若手教師の前で,冷や汗を掻きながら演技をしたのでした。
 …そして数十分後…「お前,このままここに残れ。今年の甲信越のデモ予選,出てみるか?」。…この言葉はわたしのスキー人生を変えました。もしあの時シュテムターンの演技が無かったら,スキー教師を止めていたかもしれません。…というのは,この一言で,それ以降のスキーへの取り組み方がガラッと変わったのです。スキースクールから推薦された以上,八○というスクール教師の名に恥じない滑りをしよう。急斜面,コブ,ハイスピード系の練習に,より一層身が入りました。せっかく推薦されたのだから,地元生まれのスキー教師に負けないように頑張ろう,とする気概が出てきたのです。
 この続きは次回へ…


10/4 (水) 晴れ 
 ホントに今朝はイイ天気で,心も晴々!10月に入ってぐずついた天気が続いていましたから,気持ちイイです! さて,昨日は「あぐりさん」から掲示板でリクエストのありました”プライズテスト”について…。
 プライズテストには,ご存じのように「テクニカル」と「クラウン」があります。しかしこのどちらも評価の観点は「速く,正確に,安定した動きが余裕を持って出来るかどうか?」ということになっています。ですからキーワードは「スピード」,「正確な技術」,「安定性」ということになります。
 同じ技術でもどれ位のスピードで出来るか?ということは到達度,習熟度を見る上で重要なファクターになります。時速40キロ程度なら,こういう滑りが出来るが60キロになると出来ない…,あるいは,この滑りは時速50キロまでなら出来る…ということになるわけです。40キロより60キロで出来た方が,能力的には上ですから評価されるという事になります。「スピード」が技能評価の大事な要因として挙げられる理由です。
 二番目の「正確な技術」ですが,これはチョット厄介です。というのは,斜面や雪質など,その時々の状況に最も適したテクニックの選択,が必要となるからです。そこで求められるのは,与えられたその状況ではどういう滑りをしたら「合理的」か?という視点で滑り方を選択出来るかどうか?です。技術的難易度と,合理性を考え,滑り方を選択する能力が要求されるのです。伸身系の滑りがいいのか?屈身系がいいのか?…正対気味?それとも外向重視?…ストレート内傾?それとも外傾重視?…等,いういろいろな滑り方の特質を理解し,それを使い分ける能力が求められます。モチロンそのような,幅広いいろいろな滑り方が出来なければ,選択さえ出来ないのですが…。
 三番目の「安定性」は文字どおり「安定して不安感を与えないで滑れるか?」ということです。ハイスピードになればなるほど,それに比例して「安定性」が減少します。ですからハイスピードで安定している,ということ自体が技能程度の高さを証明している,とも言えます。いくら高速で滑っても,危なっかしくて見ていられないような滑りは評価されないのです。
 このように見てくると,「プライズテスト」は,1級までの「どんな斜面でもコントロールが出来,安定感を持って滑れる」という視点と,ガラッと違っているのが良く判ります。前にも言ったように,「1級までは”老若男女誰にでも出来る生涯スポーツ”」の世界でした。しかし「プライズテスト」は,それとは要求される技能程度が全然違うのです。言い方を変えれば「娯楽スポーツ」と,技術選につながる「チャンピオンスポーツ」…程の違いがあると言っていいでしょう。ですから本気でプライズテストに挑戦する人は「身体作り」から始めるべきだと,私は思います。
 それでは「テクニカル」と「クラウン」の違いは何か?と言うと…。私の所属するスキースクールでは次のように見ています。「『クラウン』合格者は,技術選甲信越予選を通過出来るほどの技量をもつスキーヤー」…つまり,技術選の予選が甲信越単位で行われ,1級以上を有する人なら誰でも出場できるのですが,そこで「長野県の選手として技術選本番に出場できると認められ,エントリーされる位の実力者」ということです。これは実際の甲信越予選で各種目「80ポイント」以上の平均点が取れないと,本選に出れない,という事実に基づいているのです。もしクラウンに合格すれば,「あなたは長野県の選手として技術選本番に出れますよ!」というお墨付きをもらったと同じだということです。「テクニカル」は1級レベルのスキーヤーの技量と,クラウンの技量の中間程度の技量を持ったスキーヤー,ということです。実際の検定でも,私達検定員は「プライズテスト」では「長野県代表選手を選考している」という気概で行なっているのです。
 それだけ「プライズテスト」は厳しい視点で評価される…ということになります。(^I^)


10/3 (火) 曇り 
 昨日は風邪で調子がイマイチ…。一日ブラブラ…という感じで過ごしました。風邪は今まで貯まった疲労や病原菌を退治してくれる大事な体の調節…という説もありますので,風をひいて良かった良かった!と思うことにしました。(^I^)
 さて,今日はKさんから次の様な E−mail を頂きましたので,「検定」における”検定員の評価ポイント”について…。
※ Kさんからの E−mail より抜粋
 『今日は、「検定での疑問点」 ポイント制度についてお聞きしたいのでよろしくお願いします。
 雑誌によると〜「5級からクラウンまで同じ土俵に置き 5−50 4−55 3−60 2−65 1−70 テク−75 クラ−80と、定めた」。「無級者が1級を受けて63ポイントを獲得,この受検者は3級のレベルであり,2級には2ポイント不足」「新ポイント制度では自分の技術レベルを客観的に判断できるようになった」…と、どの雑誌にも書いてあります  これは知人の話なのですが,某スキー場にて,その知人は、無級で1級を受検し,全種目67〜68で不合格。その後すぐに2級を受検し,全種目63〜64で不合格だったそうです。本人談 「2級は高得点で合格しても良いはずだ!」と、言っていましたが,このポイントはどう解釈すれば良いのでしょうか??
 当然、雑誌に載っていたポイント制度だと「2級レベル」と、言うことになると思うのですが、実際の所、上記のような 「2級を受けて63ポイントを獲得」のような低いポイントがついたと言う人は今の所、聞いた事が有りません。
 私自身は知人の1級不合格時のマイナスポイントはそれなりに意味が有るのではないかと思っているのですが。。。ただ2級のポイントに移行しても違うような気もしていますが、それだと「新ポイント制度」とは異なるような気がします。やはり、ポイント獲得に,レベルが厳しい受検者には気遣ってあまり低いポイントはつけないようにしているのですか?本来ならきちっと現状を把握した方が良いような気もしますが,確かに、1級受検して「あなたは3級レベルです」と、言われたら結構ショックですね。マイナス1もそれ以上のマイナスも不合格は不合格と、言うことであまりマイナスポイントはつけないようになっているのでしょうか??よろしくお願いします。

※【TOK】のコメント
 
良く聞かれる残念な話しです。
 昨シーズンから「到達度」と「習熟度」でスキーヤーの滑りを評価する,という方式に変わりました。ですからKさんの知人がおっしゃるように「1級を受験して67〜68の評価を受けた滑り」ならば,当然「2級レベルでは合格点」が出るべきです。よほど2級を受験した時に滑りが悪ければ話しは違いますが…。あるいは違う場所で受験されたのでしょうか?これもまことに残念ですが,検定を行っているスキースクールやクラブによって評価の視点が異なっていたりして,評価点が違うこともあります。こういうことの無いよう,県連では毎シーズン初め「検定員クリニック」などを行なっているのですが,どこで受けても評価は同じ,というところまでは行かないのが実状です。
 ですから,1級を受験された時と同じ滑りが出来ていれば,2級を受験されても,同じ評価ポイントが出ないとおかしいのです。私の例で恐縮ですが,2級受験者に72ポイントをつけたこともありますし,逆に,残念ながら1級受験者に63ポイントの評価をさせていただいとこともあります。ですが,検定員の中には,「そんなに厳しい評価をしなくても,そのレベルに達していない,ということをそれとなく知らせる方が気遣いだろう…」という人も居るようです。特に実践種目講習テストでは,そのレベルに達していなければ達していない!とハッキリその事を検定中に受験生に話すべきなのですが,他の受験生の手前,厳しい発言は控える…という傾向にあるようです。
 しかし,これは「間違った温情」だと私は思います。検定システムが良くも悪くもそうなった以上,検定員は検定趣旨にのっとって厳正に評価すべきです。例え,あの検定員は厳しい!という評価を受けても…。そういう適正さが失われた時,検定そのものの意味が無くなってしまいます。9/23の日記にも書きましたが,
検定員の「ジャッジに対する信頼確保」は検定の根源に関わる大事なことなのです。
 一つの解決策として,Kさんの知人の方が受験されたスキースクール,もしくはクラブに直接,そういった事実があったことを,手紙や電話で講義することも必要かも知れません。検定を行なう側だけでなく,受験生の立場からの提言も,「検定」をより信頼性のあるもの,スキー上達の励みになる尺度として意味のあるもの,にして行くために必要なことだと思います。
 


10/2 (月) 曇り 
 昨日から少し風邪気味…。熱は無いものの,今朝は節々が痛くチョット元気の無い【TOK】です(=_=;)。
 申し訳ありませんが,体調が元に戻るまで,この日記おヤスミ…ということにさせて頂きます。多分明日はOKだと思いますが…。

10/1 (日) 曇り 
 今日から10月の始まりです。あと少しで雪の便りがアチコチから聞こえてくるでしょう。ワクワクしますね!。イメトレや基礎体力作りにも気を配りながら,新シーズンの到来を待ちましょう! (^I^)
 さて,今日は「検定」の”総合滑降”について…。
 良く「総合滑降ってどういう種目を入れたらイイでしょう?」と聞かれます。ですが,種目の規制は特別ありません。要は,ご自分の持つスキー技能を斜面状況に合った技術で披瀝することです。私はレッスンで良くお話しします…「200m×100mの白い大きなキャンバスを与えられたと想像して下さい。あなたはそこにスキーで絵を描くとしたらどういう絵を描きますか?単調な絵ではなく,力量感の溢れるダイナミックな絵を描けば,それを見た人は大きな感動を覚えるでしょう」と…。
 大事なのは種目の選択ではなく,自分の持つ技量をどう表現し,どう演技するか?です。以前お話しした「雪とスキーヤーのマッチング」などもそのポイントでしょう。スピードーは速ければ速いほど評価はされます。でもコントロールができていないスキーイングは,軽自動車が200キロ近くのスピードで走っているのと同じです。自動車では,ステアリング,サスペンション,ブレーキングの性能,エンジンの能力,路面グリップ…などがしっかりしていて,はじめて高速走行が可能なように,スキーでも同じようなことが要求されるのです。車の持つ性能とスキーヤーの能力は,そういう面で似ています。ステアリング=操作能力,サスペンション=下肢の対応能力,ブレーキング=迎え角調整能力,エンジン=スキーヤーの体力的能力,路面グリップ=スキー板の性能…。これら自分の持っている能力をどう実際のピステで表現するか?直線コースで高速で走る,ヘヤピンカーブで足回りの良さをアピールする,コーナーでの切れと加速能力を訴える…。
 こういう視点で見てくると,総合滑降ではどういう風に滑ったらいいか,が見えて来ます。単純に大回りだけ,あるいは小回りだけ,という演技では評価はされないでしょう。高速道路を,安全重視で50キロのスピード運転するような滑りも…。自分の能力は,ある意味で自分自身が一番知っています。それを背伸びすることなく,素直に演技し表現することです。コンフォートだとかカービングだとかにこだわる必要はありません。
 スピードに関して言えば,安定性を失うことなく,自分が出せる最高の速さで滑る,ことが良いでしょう。一つの見方として,同じテクニックでもそれが,低速でしか出来ないのか,それとも高速でも出来るのか?は評価が大きく違ってくる要因となるからです。自分の技量にマッチしたスピードで,自分の持つ最高の技量を示すことがベストです。
 他の種目は,大回りは大回りに要求される演技が出来ているかどうか?小回りは小回りなりの演技が…?と視点で見ますが,総合滑降だけは「受験生の総合能力」という観点から評価します。「マッチング」がキーワードだと思います。




このページのTopへ