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「 自然とスポーツ 」

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by ”Dr.N”  2002/10/19

  「自然とスポーツ」

  スポーツや趣味の意義・・という問いに対して皆さんはどのようにお考えでしょうか?
  世間では「生存のために必要なものではない」とか「道楽」といった類で考えられがちだと思います。しかし、私は自然の中で行う一部のスポーツには、もっと大切な意味合いがあると考えています。

  先日、ある方のニュージーランドでのヘリスキーレポートを読みました。大自然の中で行うスキーというのは、いわゆる娯楽で行うスキーとは異なる次元の行為だと感じました。
  私も一度ニュージーランドを訪れた事があるのですが、その時は「グレノーキー」というクイーンズタウンから北に車で50分ほどの所にある美しい村の郊外で乗馬トレッキングをいたしました。日本での乗馬とは違いまさしくカウボーイ体験!野を越え丘を越え、深さ1mほどの川を3回も渡り、湖岸でサンドイッチを食べ、合計で6時間余の本当に素敵な体験でした。
  先日、先生の日記でも乗馬についてふれられていましたが、乗馬は見た目ほど優雅なスポーツではありません。特に軽速足というスキーで言うならプルークボーゲンにあたる技術は、まさにボーゲンで全ての斜面を滑った時のようにハードです。通常の生活では使う事の無い太ももの内側の筋肉を使い馬体を挟むからです。(その筋肉痛たるや、私の場合は10日続きます。)馬はこの太ももによるしめつけ具合で乗り手の技量を判断します。馬は悪戯好きなのでなめられると本当に厄介ですが、高圧的にふるまっても怯えさせてしまうのでいけません。このあたりが馬とのコミュニケーションで魅力的な部分でしょう。馬は本当に純粋なんですよ。(話がそれましたが・・・)

  さて、その乗馬トレッキングの際に、ガイドを務めてくれた女性との会話の中で、印象に残った言葉が2つあります。「私はアリーナ(馬場)での乗馬もするが、こうやって自然の中でする乗馬の方が好きだ。」これは自分の好みというよりは、乗馬の本来あるべき姿はこうだよ・・・というのを私に伝えたかったのだと思います。
  「私は絵はがき(のような風景)の中に住んでいる。」そう話す彼女の表情からは、ニュージーランドの自然に対する敬意と、その中で暮らす誇りのようなものが感じ取れました。

  乗馬の本来の姿が自然の中で行われるものであるとすれば、アルペンスキー本来の姿は、下山の手段なのかもしれません。同様に射撃やアーチェリーが狩猟の手段であったり登山や水泳が移動や採取の手段であったり・・・。
  そういった意味で私は自然の中で行うスポーツというのは、より「生活に密着した行為」だとと考えています。ただし、ここで言う「生活」と言うのは「現代の生活」ではありません。我々を含め都会に住む現代人にとって「生きる」という行為はごくごく日常的な内容であり、普段意識することもないはずです。その平凡な日常生活からの脱却のためにスポーツやレクリエーションをするのだ・・・と言われてますが、アウトドアで行うスキーや乗馬などには生存の根本部分、原始的な本能を刺激する「回帰的」な部分があるのではないでしょうか。変な言い方かもしれませんが、現代人は日常が非日常になっているのだとも思えるのです。我々(この文章を読んでいる皆さん)がスキーに打ち込んでいるのも、その「生存感覚」を得るためなのかもしれません。

  以上の話を象徴する文章が、20年程前にとある男性雑誌に掲載されていました。
  この文章は、私が自分の趣味を語る上で非常に良い例となっています。アフリカのケニアで行われるサファリ・ラリーの取材記事です。
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  ・・・しかし、私はもはやワークスの事などどうでもよかった。彼らがやっている事はビジネス以外の何物でも無く「アンチ・ロマンの爆走」でしかなかった。今や私の関心はプライベートの車にしかなかった。苦労してかき集めた大金をわずか5日間で使い切ってしまう男たちの運命にしか興味が無かった。走った後に彼らに残るのは多額の借金だ。それでも彼らは走る。この行為を道楽と見なせばこれ以上の道楽は無いだろう。「なぜそうまでしてはしるのか?」という私の問いかけに対してイワシタはこう答えた「こうでもしなけりゃ生きている実感がしないんですよ」と。
  ヒラバヤシは兄にこう迫られた「お前にとってラリーとは一体なんだ?!」と。ヒラバヤシはとっさに上手い言葉が見つからずに口ごもった。すると兄は「すぐに答えられないような事にお前は命を賭け人生を賭けているのか!」と。
  ケニアの山奥に住む現地の人々はもちろん、車など無く、裸足で走り回りその日を食べるのが精一杯のありさまだが、それでもキラキラと輝いていたのはどうしてだろうか?
  肉体と精神を同時に完全燃焼させられる事を見つけた男は二度とありふれた生活に戻れない。だからと言ってそれを不幸な人生と決めつける事は誰にもできない。
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  私はこの文章に2つの意味合いを感じています。ひとつは「現地の人は物に満たされていなくても輝きをもって生活している。」もうひとつは「都会人は、物に満たされながらも心は満たされない、危険を犯してでも輝きを求めようとしている。」という事です。
  まさに、日本にいる時の私とモンゴルに行った時の私をそのまま描いたような文章です。モンゴルと中国の国境の村で数日間過ごした時に感じた事。それはテレビやパソコンが無くても十分に楽しく、そして生きているという実感に浸れた数日間だったのです。
  そして、少しの怪我でも命にかかわるような緊張感と、広大な自然の中で生活するリラクゼーションが微妙に絡み合い、まさに生活する事が人生そのものでした。これはテーマパークで体験する人工的なアトラクションでは、全く得る事のできないものだと思うのです。

  大自然に中で行うスポーツ。それは「自分自身が、今生きているという証を得る・・・」事なのかもしれませんね!

                                        (2002/10/19 UP)

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