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マチャ … グッキーを語る 

   八方尾根スキースクールの「丸山政博」氏が,Martin Gugganig の葬儀に参列して,帰国いたしました。
  このページは彼から頂いた原稿をそのまま掲載させていただきます。


さよなら具技男…

July/22/03  丸 山 政 博   

  7月5日(土)の夕方、知人よりグッギーが事故で亡くなったと連絡をもらい何な何だか理解できず驚く事も出来ない状態。時間が経つにつれ情報も次々と入り信じざるを得ない状況の中、喪服を片手に葬儀へ向かい現地に着いたのは葬儀の始まる20分前(葬儀は現地時間8日14:00から)。Flattishのホテルに着きフロントでグッギーの写真の入った葬儀案内を見た時、これは夢?なぜここに居る?と頬をつねりたくなる程の衝撃が走った。
  慌てて喪服に着替え教会横に有る遺体安置場へ向かったが既に棺の蓋は閉じられておりグッギーに会う事は残念ながら出来なかった。葬儀の後Gugganig家の墓地へ移動し、一人ずつ棺に聖水を掛け最後のお別れをし、墓地を後にした。
  墓石にはグッギーの兄が1953−1989と刻まれており、グッギーと同じ36歳と言う若さで亡くなっている事に驚いた。神の悪ふざけが取り返しの付かない結果になってしまった様にも思えてならない。お父さんも兄に続き1991年に亡くなっている。

Gugganig家の墓地

  いたずら好きのグッギー、棺の中はからっぽで「びっくりした?」などと言いながら何処からか現れるのではないかと少しばかりの期待もしたが…
  翌日、日本からの7名がグッギーの家に招かれコーヒーやケーキ等を御馳走になりながら思いで話し(ドイツ語が苦手な私は理解に苦しむ)や家の中も見せてもらい2時間と言う長い様で短い時間を過ごした。
  部屋に入りまず目に入ってきたのがベッドの上いっぱいに広げられたグッギーとの思い出の写真。悲しみの中笑顔を少し交えながらLissyは1枚1枚手に取り説明してくれたが一通りの写真を見終えた後笑顔が消えた。
  家を見たとき本当に家族思いの優しい人だったんだなーと改めて感じた。何故なら畳の部屋も造りたいと言っていたグッギー家のイメージとは違い、とても可愛い造りになっていた。恐らくLissyの意見を多く取り入れて造ったのだと思う。グッギーは友達と4〜5人で忙しい合間の時間を使いコツコツと基礎工事から大工・左官と全てをこなして家を建て、家の横にパーティールームを造り、後に家の増築に取り掛かり玄関先の石の張り替えを後少しと言う所まで完成させた所で今回の事故に遭い、庭に置かれたままの材料と道具を見た時、また悲しみがこみ上げてきた。

 

  Lissy さんと Nina ちゃん

  グガニック家を後にする時間になりグッギーの家族や親族一人一人と握手をし、声を掛け合った。ドイツ語が苦手な私は、おかあさんと握手をした時なぜかお互い手を離す事が出来なくなった。おかあさんは悲しそうに一生懸命私に話し掛けてくれるが理解できない。そんな自分に腹が立って仕方がなかった。Lissyはグッギーからこの先3年位は八方で冬を過ごす予定だからと日本語を仕込まれていたので有る程度の気持ちは伝えられた。グッギーが愛娘のNinaを日本語とドイツ語の出来る子にするのが夢だと言っていた事を思い出した。
  帰国して半月が経つがグッギーの大掛かりないたずらが続いている様でならない。

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(注1):「丸山政博」…八方尾根スキースクール教師。検定部長など歴任。グッキ-とは兄弟のような親交があり,八方尾根に居る時グッキ-は,ほとんど毎日のように彼の経営する日本風の宿「あたらしや」を訪問していた…。グッキ-のことを「丸山具技男」と命名したのは彼…。この度,グッキ-の訃報に接し,取るものもとりあえず,オーストラリアに向かった…

(注1): Lissy はグッキ-の奥さん,Nina はグッキ-の愛娘

  私以上にグッキ-と仲の良かった「丸山政博氏」にとっては,とても辛い別れの旅だったと思います。秋になると,またヒョッコリ「マチャ!元気ィ?」と言いながら「あたらしや」の玄関に…。
  写真は丸山政博氏が現地で撮られたものです。ご本人の了解を得て掲載しました。 【TOK】