味わう

(メルマガ No.0019 11-19-2001 より)

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“ 味わう ” ☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  私事で恐縮ですが,私は「寿司」大好き人間です!。毎日寿司…でも構わないくらい好きです。最近は値段が安く,寿司ネタもいい「回転寿司」が多くなり,嬉しい限りです。
  ところが,妻によく言われるのです。「あなたの食べるのを見ていると,まるで子供ネ…。口に寿司を入れたと思ったら,すぐ次の寿司に目が言っているわヨ…。もう少し落ち着いて,味わって食べたら…」。グゥーの音もありません…(=_=;)
  
  私達の日常生活を見てみると,こういうことを感じることがあります。朝起きてから寝るまでの間の行動…例えば,顔を洗うとか,いつもの通勤の道を歩くとか,風呂に入るとか…そいういったある意味でルーチン化された行動というのがありますが,その行動を何気なく,何の感動も無く行なってしまっている…そういう人が多いのではないか?と…。つまり,「顔を洗うこと」や「なにげなく歩くこと」に幾ばくかの感動を覚えたり,楽しみを感じる人はほとんど居ない…ということです。おそらく,こういったルーチン化された行為は,できれば簡単に済ませたい…,あるいはしないで済ませたい…,と思っている人が多いのではないかと思います。しかし,もしこのような日常のささいな行為を,楽しみ,味わうことができたとしたら…毎日の生活がナントこころ豊かなものになるでしょう?!?!
  時間に追われ,楽しむなんて余裕は無いよ!とおっしゃる方が多いのは分かります。でも,顔を洗う時の水の温度を感じようとするだけでチョット趣きが違って来るように思うのです。いつも使っている水の温度がぬるく感じられたら…,あるいは,空気がキンキンする感じがしてきたら…季節が秋から冬に変わって来た証拠かもしれません。遠くの音が近くに聞こえる気がするなぁー,と思ったら翌日は雨模様かもしれません。通勤途中の木々の葉に目が行く様なら,なおさら季節の移り変わりを実感できるでしょう。私達の五感全てを使って,生活の中の匂いや温度や音を感じ取り,感じ分けることで,生活そのものをより深く“味わう”ことができる…と思うのです。

  私は回転寿司を食べる時,どうも「目」で食べていたようです。そこで妻に言われたことに注意し,そのお皿を平らげるまで,次の皿に目を移さないようにし,今食べている寿司の味に集中するようにしてみました。そしたら全く違うことに気付いたのです!。口の中で舌が感じ取る感覚が別もののように思えたのです,それくらいネタ独特の味わいがあり,寿司の美味しさが倍にも感じられたのです。寿司にも噛んだ後に鼻から抜けていく豊かな香りがあることも分かり,これもひとつの美味しさだと気付きました。“味わう”ということに意識を集中した結果得られた,美味しさです。

  このように見てくると,日常の生活でも,寿司をいただく時でも,いろいろな場面で,いろいろなものを感じよう,味わおう,とする意識が働いている時と,そうでない時では,その結果得られる感動に大きな違いが生まれる…ということが分かります。その時その時,自分が対峙している状況を“感じて受け止め,味わう”ことができるかできないか…ということが,人生そのものを有意義に過ごしているか,過ごしていないか?ということと関係してくる…そんな気さえします

  このことは“スキー”でも言えることです。どんな条件の斜面を滑っていても,その時々楽しめることはある…ということです。そのためには身体中の感覚を研ぎ澄まして,雪が発している情報を受け止めることです。“雪を味わう”と言っていいかも知れません。よく,「私はスキーを始めたばかりだから,感じたり,味わうなんてとんでもない…」とおっしゃる方が居られます。でも,どんなレベルでも,その人なりの味わいはあるものです。味わえるのは,自分が味わおうとする姿勢を持てるからであって,向こうからはやって来ません。私の「寿司の味わい方」と同じ様に,その“味”をテイスティングすることに集中できるかどうか?ということだと思います。(^I^)

  スキーや寿司や日常の生活全般をとおして,その“一瞬一瞬を味わう”ことの大事さを思った私でした。

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