“素直に感じようとする心…”
先日,ガイドとして白馬大雪渓にお客様をご案内した時,次のようなことがありました。
白馬の「猿倉」というところから「白馬尻」というところまで,谷間の山道をご案内するのですが,単調な道なので皆さんが飽きないように,いろいろお話をしながらご案内します。そんなに高山植物が多いわけでもなく,景色もあんまり良いとは言えないので,興味を持ちそうな話題を探さなくてはなりません。
特に雲が掛かって山肌も見えないときは最悪で「心眼で山を見る」とか,「山の気配を感じる」…とかいう話になります。何を馬鹿なことを…と思われるかもしれませんが,この「心眼」で山の気配を感じる…ということに妙に共感を感じていただけます。「晴れていればこの方向に白馬岳の頂上が見えます。今日は雲が掛かっていますが,静かに“山”を感じようとすれば心の中に“白馬岳”が見えますね?」という言葉や,「300年かけて成長したブナの木に耳を当てれば,かすかに水を吸い上げる息づかいが聞こえますネ!…ホラ“トトロ”も居るじゃありませんか!」…とかいう話に,皆さんなぜかうなずいてくれるのです。ある人が「大自然の持っている“気”でしょうかねぇー?」と話しておられまし
た。
この8月から私のホームページの教師日記で“フィーリングスキー”のことを書き始めましたが,実はそれを書きながら,“スキー”でもこれと似たような事があるなぁ…と感じました。“フィーリングスキー”は足裏の感触を大事にし,雪からの情報を下から上に伝える…ということがメインになっているのですが,自分から「伝える」のではなく「受け入れる」という態度が,スキーの楽しみ方
をより広げてくれる…ということを思ったのです。足裏から伝わる独特な感触や,
肌で感じる空気の流れ…そういったものが,より豊かな雪のメッセージを私たちに届けてくれる,そんな気がします。何かモノを感じようとするとき,私たちの身体はその情報を「取り込もう」とする力が働きます。拒否するのではなく,受け入れる…という態度です。この姿勢になれたとき,私たちは大自然からのメッセージを何のこだわりもなく素直に受け入れられ,本当に雪の大自然を楽しむことができるのではないか…と思います。
私の回りのスキーヤーをみると,ほとんどの人は「雪からのメッセージ」を楽しもうとするより,「雪を征服する」ことに注意を払っているように思います。スキー板を自分の力に任せて振り回し,雪を蹴散らしながら,「あの急斜面をクリアしたぜ!」とか,「○○コースを△分で滑り降りたよ!」…といったことのほうが多いように思うのです。モチロンこの様な楽しみ方もありますし,悪いわけではありません。でも,「自分から雪の方向に向かって何かの働きかけをする」ということが,楽しみ方の幅を少し狭くしているのではないか?と思うのです。
前回のコラム“フォームと技術”を読んだ方から,ご賛同の E-mail を予想以上に頂きましたが,その中の“S”さんからは 『 ……スキ−って本当に楽しいですよね!私がはじめてそう思ったのは,外足にきちんと乗れて,板が勝手にギュ−ンと回っていったとき!!これ感激!! 今は新雪!!こんな気持ちの良いもん無いジャン!!その上コケテモ笑える……』というお便りを頂きました。“S”さんも感じておられるように,楽しさのひとつは「雪との会話」です。そうなんです!“会話”だからこそ,「話すだけ」ではなく「聞くこと」も大事になる…そんな気がします。
この夏は,トレッキングのガイドを通じて「自然の気を感じる…」ということを学ばせていただきました。それは,向こうからこちらに向けて発信されているナニか…を感じ取ろうとする姿勢が大事だ,ということでした。
私たちが楽しんでいる“スキー”というスポーツ…。“感受性の豊かさ”がその楽しみ方の質を決めている…そんな気がします。
受け入れようとする時にものごとの真理が見える…。のでしょうか? (^I^)
2001/08/20
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